統合失調症と子育てと絵と

私という人間の記録

統合失調症と診断されて

中学2年の半ばには、ほとんど薬漬けでしたが、フリースクールで過ごすようになってからも何回か先生の紹介で小樽の精神病院には行きました。そこで出逢った先生は薬に頼らない方針でした。なので少しずつ減薬していく事に。そして半年くらいにはほとんど薬を飲まなくてもいい状態になりました。

フリースクールを卒業し、睡眠導入剤は必要だったので続けて飲んでいましたが、その他の安定剤などはほぼ飲んでいませんでした。

統合失調症」と診断されたのは10年くらい前です。どうしてそうなったのかは分かりませんが、急性期の時の事。その時の私は色々あって(近々その頃の事も書きます)2匹の猫と1人暮らしをして生活保護を受けていました。16歳から生活の為にずっと働き続けていたのに、働かないとなるとなんだか罪悪感に駆られていました。何もしなくても生活する為のお金は貰える。不思議ななんだか自分の存在価値が無いような…。その頃は情緒不安定で精神科にも定期的に通っていました。ある時声が聞こえてきました。「みんなしってる」。とても怖くなりました。記憶が曖昧で申し訳ありませんが、自分の生活がみんな筒抜けな気がして「はたらいてもいないオマエはにんげんであるシカクがない」と頭に響くのです。私は猫の餌を食べました。病院にも行けなくなり薬も飲まず、そうすると眠る事も出来なく食べる事もせず、でも友達の前では普通を装っていました。友達は気づいていたのかもしれませんが…。音楽を聴いても何か私に対する悪のメッセージと感じたり、盗聴されていると思ってコンセントを全部抜いたりしました。3日間くらいずっとベッドの上で何も出来ず監視カメラがあると震えていた事もありました。ある夏の日地下鉄に乗ろうとした時常に狙われている気がするのです。「殺される」と思いました。地下鉄に入るとシャッターが閉まる音がしました。私は隔離されたと思いパニックになり、トイレに駆け込みそこから動けなくなり緊急ボタンを押していました。

気がつくと救急車の中に居ました。そこでもずっと色々な声が聞こえ、私をせめて来るのです。病院に着いてもずっと震えていました。カーテンを閉めて先生と話す時も、周りの音が気になってカーテンを開けるときっとギロチンがあるんだと思いました。きっと私は殺されると思って泣きながらずっと「怖い怖い怖い怖い…」と繰り返していたように思います。

その時まで私は「統合失調症」を知りませんでしたしその時も先生は私の状態を見て病名は伏されていました。その日は点滴をしてもらい、札幌でママと慕っていた方にたまたま連絡をして繋がり、家まで送ってもらいました。ママは虐待や、DVで困っている人の話を聞いて改善していく仕事をしていて、私の状態を見ても優しい言葉をかけてくれただけで特に何も聞いては来ませんでした。それがどんなに有り難かった事か。

次の日私は保護入院になりました。

閉鎖病棟で集中治療する事になりました。

閉鎖病棟は刑務所(刑務所がどんなところか実際には分かりませんが)のような所だと思いました。

でも今思うとその入院はその時の私には必要な入院でした。

いつ退院出来るのかは知らされず途方に暮れそうな毎日でしたが…。